第11話  庄内釣の歴史書「垂釣筌」  平成15年7月18日  

庄内の釣文化を調べるために、酒田、鶴岡の図書館へ行った。全国的に有名な「庄内の釣」を調べようと思って行ったのである。地元の図書館であるのに、釣に関する文献の少ないことにビックリした。私の稚拙な知識では古文書をイチイチ探して見ることは出来ない。断片的でも何かまとまった本でもあればたすかるのだが・・・。釣を趣味にしていて、釣の歴史、竿師、釣師に関して書いたりした人は少ない。昔は道楽と云われていたから自費出版までして本を出す人は居なかったのだろう。

庄内では昔から釣に関した事を、日記やその他の資料には断片的に書いてあることは多くあった。しかし、全編釣の事が書いてある本は陶山槁木が書いた「垂釣筌」が最初である。

幕末も近づいた文久3(1862)庄内藩元寺社奉行陶山槁木(スヤマコウボク=1804〜明1872 陶山七平儀明の長男で陶山七平儀信)が「垂釣筌」という本を著した。庄内竿を完成させた名竿師陶山運平の兄であり、自らも竿、地針などを作っていた名釣師でもあった。

庄内の釣の案内書である「垂釣筌」に先駆け鶴岡市加茂から由良の間の主な名釣り場「釣岩図解」を表している。「垂釣筌」はその完成の書といえ、槁木自身の経験と先輩等から聞いたりした事を事細かに書いたもので、当時の釣を知るに当たっての貴重な資料となっている。これが幕末の釣師に評判を呼び盛んに模写されたという。あまりにも完成度が高くその後これに勝る釣の書が中々出なかった。

「釣岩図解」と「垂釣筌」とセットで読むと良く理解できると云われている。残念ながら「釣岩図解」の原本は失われており、模写や模写の模写の復刻版が残っておりおおよその釣り場の見当が付くと云う。今現在残っている模写では百カ所以上の岩場が書き込まれ、竿を出す位置、竿の長さや釣れる魚が書いてあるという。

この後、刊行された本は模写された「釣岩図解」を元に追加補正されたものが多く出回っているが、独自のものは少ない。1970年代になって、土屋鴎涯(18671938 庄内藩士土屋伊教の長子で釣を好み、鳥羽絵風の絵画を得意とした。裁判所、本立銀行、信成合資を歴任)の「庄内の釣 時の運」、「鴎涯戯画磯釣、釣竿系譜、庄内竿」が刊行された。鴎涯は明治、大正、昭和初期の鶴岡の磯釣りを当時の世相を風刺を込めて得意の筆で書いている貴重な一品だ。

「垂釣筌」は昭和51年当時本間美術館の館長であり、自ら庄内竿を作っていた事もある本間祐介(19071983)により復刻本が本間美術館より刊行された。これらは数少ない、庄内釣を後世に残す数少ない資料としての価値が高い。